浦和地方裁判所 昭和44年(ワ)454号 判決 1975年1月30日
原告 海外技術協力事業団承継者 国際協力事業団
右代表者総裁 法眼晋作
右指定代理人 大道友彦
<ほか九名>
被告 西村俊一
右訴訟代理人弁護士 上條貞一
右訴訟復代理人弁護士 倉内節子
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨及びこれに対する答弁
一 原告
(一) 被告は、原告に対し、金三八万六四四四円及びこれに対する昭和四四年一月一一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 仮執行の宣言
二 被告
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二請求原因
一 原告被承継人海外技術協力事業団は、昭和三七年六月三〇日アジア地域その他の開発途上にある海外の地域に対する条約その他の国際条約に基づく技術協力の実施に必要な業務を効率的に行なうことを目的として海外技術協力事業団法によって設立された法人であったが、昭和四九年五月三一日国際協力事業団法の制定に伴い解散し、原告が新たに設立されて海外技術協力事業団の一切の権利及び義務を承継するに至った。
二 原告は、右業務の一環として、日本青年海外協力隊員(以下隊員という)を東南アジア・アフリカ・中南米の九か国に派遣しているのであるが、これらの隊員を直接指導管理する者として現地に原告の職員である駐在員を駐在させ、右駐在員を補助するものとして調整員をおいている。
三 原告は、被告を昭和四三年九月一二日フィリピン国へ調整員として派遣する予定のもとに昭和四三年八月二四日嘱託として採用し、同年九月九日被告と日本青年海外協力隊調整員の派遣に関する契約(以下本件派遣契約という)を締結し、被告に対し、昭和四三年八月二三日に支度料金七万七〇〇〇円、移転料金五万三一〇〇円並びに同年九月九日に着後手当金六万三〇〇〇円、日当宿泊料金六、三〇〇円、海外手当金一八万七〇四四円(以上合計金三八万六四四四円)をそれぞれ支給した。
四 ところで、原告は、被告を予定どおり、フィリピン国へ派遣すべく準備を進めていたのであるが、派遣直前に至り、フィリピン国政府において免税特権の供与に関する従来の取扱いが急変するような情勢となり、免税特権の供与にかかる同国政府の決定が遅延するに至ったので、被告の派遣を一時延期することとし、被告の早期派遣について鋭意努力した結果、昭和四三年一二月一七日に至り被告の派遣が可能となった。
五 ところがその間被告は、原告が被告の派遣について誠心誠意努力していることを充分知っているにかかわらず調整員としての適格を欠く数多くの行為を行なった。原告は、このような一方的な自己の主張に固執し、これが容れられなければ過激な行為に移る協調性のない被告を国際的な親善を目的とする日本青年海外協力隊の調整員としてフィリピン国に派遣することは、わが国の信用を失墜させ、日比両国間の友好関係にも悪影響を及ぼすおそれが多分にあると判断して、昭和四四年一月九日、被告に対し、被告との本件派遣契約を解除し調整員としての被告を解職する旨の意思表示をなし、右意思表示は翌一月一〇日被告に到達した。
六 このように原告が被告との契約を解除するに至ったのは、前記のとおりやむことを得ない事由によるものであって、仮に右契約の解除により被告に損害が発生したとしても、原告にはその賠償責任がない(民法第六五一条第二項但書)。したがって被告は、右契約の解除により、原告が被告に対し昭和四三年八月二三日及び同年九月九日支給した支度料金七万七〇〇〇円、移転料金五万三一〇〇円、着後手当金六万三〇〇〇円、日当宿泊料金六、三〇〇円、海外手当金一八万七〇四四円合計金三八万六四四四円を原告に返還する義務がある。よって原告は、被告に対し右金三八万六四四四円及びこれに対する右契約解除の日の翌日である昭和四四年一月一一日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三請求原因に対する認否
一 第一項ないし第三項の事実は認める。
二 第四項について、被告のフィリピン派遣が遅れたことは認めるが、その余は争う。
三 第五項について、原告が昭和四四年一月一〇日被告を解職したことは認めるが、解職の理由は否認する。
四 第六項は争う。本件契約解除がやむことを得ない事由によるものであることは否認する。
第四被告の抗弁
一 本件解職(解約)の無効と不当利得返還請求権不発生
本件契約は二年間の役務契約であるからその解職(解約)には正当事由を要すべきところ、本件解職(解約)は正当事由を欠き無効であるから、原告には本件解職(解約)を前提とする不当利得返還請求権は発生せず、したがって原告の本訴請求は理由がない。
二 相殺
仮に原告主張の不当利得返還請求権の発生が認められるとしても、
(一) 被告は原告の本件解職(解約)によって多大な精神的損害を蒙りこれを慰藉するには金五〇万円の支払を受けるのが相当であるところ、被告は昭和四九年一一月二一日の本件口頭弁論期日において右金五〇万円の慰藉料による損害賠償債権をもって、原告の本訴債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をしたから、原告の本訴請求は理由がない。
(二) 本件解職(解約)の時期は明らかに民法第六五一条第二項の「相手方のために不利なる時期」に該当する以上、原告は被告に対し損害賠償の義務を負うところ、被告は原告の本件解職(解約)によって多大な精神的損害を蒙りこれを慰藉するには金五〇万円の支払を受けるのが相当であるから、被告は昭和四九年一一月二一日の本件口頭弁論期日において右金五〇万円の慰藉料による損害賠償債権をもって、原告の本訴債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。よって原告の本訴請求は理由がない。
第五被告の抗弁に対する原告の認否
一 本件契約の解除は正当事由に基づくものであって有効である。
二 否認する。本件契約の解除はやむを得ない事由に基くものである。
第六証拠≪省略≫
理由
第一原告の業務
原告被承継人海外技術協力事業団は、昭和三七年六月三〇日アジア地域その他の開発途上にある海外の地域に対する条約その他の国際条約に基づく技術協力の実施に必要な業務を効率的に行なうことを目的として海外技術協力事業団法によって設立された法人であったが、昭和四九年五月三一日国際協力事業団法の制定に伴い解散し、原告が新たに設立されて海外技術協力事業団の一切の権利及び義務を承継するに至ったこと、原告は、右業務の一環として、日本青年海外協力隊員を東南アジア・アフリカ・中南米の九か国に派遣しているのであるが、これらの隊員を直接指導管理する者として現地に原告の職員である駐在員を駐在させ、右駐在員を補助する者として調整員をおいていること、は当事者間に争いがない。
第二日本青年海外協力隊調整員の派遣に関する契約の締結
原告は、被告を昭和四三年九月一二日フィリピン国へ調整員として派遣する予定のもとに昭和四三年八月二四日嘱託として採用し、同年九月九日被告と日本青年海外協力隊調整員の派遣に関する契約を締結し、被告に対し、昭和四三年八月二三日に支度料金七万七〇〇〇円、移転料金五万三一〇〇円並びに同年九月九日に着後手当金六万三〇〇〇円、日当宿泊料金六、三〇〇円、海外手当金一八万七〇四四円(以上合計金三八万六四四四円)をそれぞれ支給したことは、当事者間に争いがない。
第三解約(解職)の意思表示の性質
一 ≪証拠省略≫を総合すると
(一) 被告は昭和四三年四月東京大学大学院教育学博士課程に進学し、「一九六〇年以降の開発途上国の開発に伴う教育計画の問題」というテーマで研究しており、他方妻子を養いつつ東京都立深川高校の非常勤講師及び家庭教師として生計を営んでいた。
(二) 原告はその業務の一環として昭和四三年度末まで延べ五一二名の日本青年海外協力隊隊員を東南アジア・アフリカ・中南米の九か国に派遣した。しかして現地において隊員の任務遂行上の指導、健康管理、生活指導、隊員の派遣にかかる調査、これらに関する関係在外公館、相手国関係機関との連絡等の業務に携わる者として、ラオス・マレーシア・フィリピン・タンザニア・モロッコに原告の職員である駐在員を各一名駐在させているが、右駐在員のみでは年々増加する隊員の指導管理等を充分に行うことができないので、調整員制度を設け駐在員を補佐しまたはこれに代る業務を行わせている。調整員は公募による一般隊員応募者のうちから銓衡し、隊員とともに日本青年海外協力隊訓練所(以下訓練所という)において所定の訓練を受けさせた後、原告と二年間の役務契約を締結し、調整員として海外に派遣することとし、一箇月二〇〇ドルの海外手当を支給し、また国内積立金として日本出発の日から帰国の日までの期間に応じ、毎月金一万五〇〇〇円を支払いのうえ、これを積立て、隊員が帰国の際に一括交付するものであった。偶々被告の教育学の指導教授が被告の前記研究テーマに鑑み開発途上国の現地の実態を見聞する必要上隊員を志望することを勤めたので、被告は昭和四三年五月日本語教師という職種で隊員として応募した結果これに合格したところ、隊員としての訓練が二四時間拘束され従来の職業と両立しないので、被告は大学院の休学届を出し、高校の非常勤講師及び学庭教師を辞任した。ところで原告は昭和四三年度において、マレーシア・ラオス・フィリピン・タンザニヤの四か国に調整員を派遣することとして公募による隊員応募者のうちから被告ら四名を調整員候補として銓衝し、隊員三一名とともに昭和四三年五月二七日から同年八月二四日まで訓練所に合宿させて所定の訓練を行った。
(三) 日本とフィリピン両国間には隊員についての取り決めはなされていたが、調整員は隊員のように現地政府の下で働らくのではなく、原告の現地駐在員事務所で隊員の世話をする立場にあったので相手国政府から隊員と同じ免税特権の供与を期待することは無理であり、そのためには従来の隊員に関するものとは別個の特別の取り決めを必要とした。被告は原告からフィリピンへ調整員として派遣する旨の正式通知を受けたのが昭和四三年六月七日であったが、これに先だつ昭和四三年五月一〇日原告受付のフィリピンから安川大使の公文書によると、フィリピンは当時としては調整員一名を要請する旨の回答がなされ、しかも原告は同年五月二三日既にフィリピンへ原告の職員の伊藤勲を調整員として派遣することを決定し、同人は同年八月一〇日フィリピンに着任した。原告は被告に対してフィリピン派遣の通知を出した時点において相手国たるフィリピン政府と事前に受入れ態勢免税特権供与の有無等の事項について何の協議もせず派遣を決定した。昭和四三年七月二九日原告からフィリピン安川大使にあてた照会電文「また、右一名の増派が必要と認められる場合同調整員についても冒頭貴信と同様の免税特権が与えられるかフィリピン政府につき打診のうえ結果後に回電ありたい」との照会に対して、昭和四三年七月三〇日付フィリピン安川大使からの返電によれば、「追加調整員の免税特権についてはフィリピン側の意向が明らかになり次第追報する。協力隊調整員追加派遣もさることながら、協力隊業務で目下火急に必要であるのは、当地の事情に通じた現地職員である」というものであった。原告は同年八月一日フィリピン駐在日本大使館に被告を同年九月中旬調整員として派遣すること及び被告に免税特権の供与をすることについて正式に了解をとりつけたい旨要請した。昭和四三年八月二四日被告は調整員としての訓練が終了したので、原告は同日辞令を交付して被告を嘱託(無給)及び調整員に採用し、同年九月一二日被告を調整員としてフィリピン国に派遣する予定のもとに同月九日被告と調整員の派遣に関する契約を締結し、被告に対し前記のとおりの旅費手当金等合計金三八万六四四四円を支給した。原告は同年八月三日日本大使館を通じてフィリピン政府に同年九月一二日被告を空路で赴任させることについて差支えないかどうか照会し、同年九月四日日本大使館からフィリピン国外務省担当官は被告の免税特権の供与については問題ないと思うが正式の回答は来週となる見込であると述べたという回答を受けた。
(四) 被告は、フィリピンへの出発準備のための身辺整理、郷里である九州へ赴き親族に挨拶し、壮行会や送別会も催されていたところ、出発予定の昭和四三年九月一二日に至り、原告は被告に対しフィリピンで免税特権の供与の承認が得られないから派遣できない旨申し渡した。そこで、その後被告は再三にわたり原告に対し本件派遣契約に従って原告が早急に被告をフィリピンへ派遣するよう要求したところ、同年九月二〇日原告は被告に対し右の契約書の破棄を要求したので、被告がこれを拒否すると、原告は破棄しないなら今後面倒みない旨申し渡した。被告は、派遣についての見通しがつかなかったので、同年一〇月一二日、同じく調整員派遣が遅延している訴外黒沢常道と共に、原告に対し、本人及び家族に対して派遣遅延について詫び状を書くことを要求し、これに対し原告は被告の家族に対し派遣遅延の事情を述べた文書を発送したが、被告は更に、同年一〇月二三日、原告に対し、本人及び家族に対して派遣遅延に対する詫び状を書くこと、生活費を補償すること、派遣遅延に対する損害賠償を強く要求した。原告は、生活補償の意味で被告に対し同年九月一二日から生活費名目で一日金五〇〇円及び研修費名目(一定の研修を義務づけない)で一日金五〇〇円(但し日曜祭日を除く)一か月合計約金二万七五〇〇円を支給し、かつ被告を訓練所宿泊棟に宿泊させているから生活補償は充分であり、また派遣遅延は相手国の都合によるのもであるから損害賠償請求には応じられない旨回答した。被告は、右の要求を繰返すと共に、原告に対し、免税特権供与の承認の有無にかかわらず派遣すること、派遣の見込を明確にすること並びに調整員にも隊員と同じく災害補償の規定の適用を認めることを要求したが、原告はこれに応じられない旨回答した。原告は再三フィリピン駐在日本大使館を通じフィリピン政府に対し免税特権の供与についての交渉を続けたが、容易にこれが承認の回答は得られなかった。被告は同年一二月一七日原告事務局正門で「同月一八日午後五時までに右要求が認められなければ、翌一九日午前一一時から原告事務局正面玄関において、被告、被告の妻京子及び長男俊之(幼児)黒沢常道の四名がハンガーストライキに突入する」旨を記載したビラ多数を事務局職員らに配付したが、翌一八日事務局職員らが被告にフィリピン政府から免税特権を供与することに決定した旨の電文が入ったことを伝えたため、被告らは右ストライキを中止した。被告は、長期にわたる派遣遅延により年末年始の生活費すらなく生活に窮し、同年一二月一九日、原告に対し、年末手当金一〇万円を支払うことを要求し、これを拒否されるや、これを不満として同月二一日、二五日の両日原告事務局正門において年末手当金一〇万円以上を支払うことを要求する旨を記載したビラ多数を事務局職員らに配付した。被告は同年一二月二六日午前一一時三〇分から原告事務局建物の裏の訓練所裏の宿泊棟三階の被告のベットに寝転ろんで黒沢と共にハンガーストライキに入ったが、事務局の組合職員らの説得により同日午後一〇時四〇分これを中止した。同年一二月二八日原告は、被告に対し、原告職員の年末手当に準じて計算した金五万二二一五円を年末一時金として支払い、被告からフィリピン派遣についての誓約書を徴したうえ、昭和四四年一月フィリピン派遣通知をするから自宅待機するよう申し渡した。そこで原告事務局職員らも喜んで「御用納め」の酒を被告に振舞った。被告は、昭和四四年一月に入って原告からの出発日の通知を心待ちしていたところ、同年一月九日、原告は、被告に対し、前記被告の行為は国際的な親善を目的とする日本青年海外協力隊の調整員としては甚しく不適当であるとして昭和四三年九月九日原被告間に締結した本件派遣契約を解除し嘱託(調整員)を解職する旨の意思表示をし、右意思表示は翌一〇日被告に到達した。
以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
二 前記認定のとおり、元来隊員については日比両国間に取り決めがあって免税特権が供与されていたが、調整員については取り決めがなかったから、被告を調整員としてフィリピン政府から免税特権の供与を受けるためには隊員とは別個の取り決めが必要であったにもかかわらず、原告は被告を調整員として派遣するときは当然免税特権の供与が受けられるものと軽信し、免税特権の供与未定のまま漫然昭和四三年九月九日被告と本件派遣契約を締結したが、被告に免税特権を供与するにつき相手国フィリピン政府と合意が成立したのは同年一二月一七日に至ってようやくのことであったから、原告の被告派遣計画は極めて杜撰であったのみならず、昭和四三年九月九日原被告間に締結された本件派遣契約には免税特権に関して何らの取り決めがなく、免税特権の供与がなければ派遣しない旨の取り決めがない限り原告は免税特権の供与の承認の有無にかかわらず約定派遣日である昭和四三年九月一二日には被告を派遣しなければならないのであるから、原告は債務不履行の責任を負うべきであり、他方前記認定のとおり被告は東京大学大学院博士課程の研究テーマである「開発途上国の開発に伴う教育計画の問題」の研究に資するため開発途上国の現地の実態を見聞する必要上隊員を志願し(その後原告の都合で調整員に変更した)、右大学院を休学し高校の非常勤講師及び家庭教師の職を捨てた程であったから、被告が派遣遅延については不安と焦燥に駆られ、妻子をかかえて生活費に窮した挙句、原告に対し執拗に派遣及び生活保障につき要求し、原告事務局の職員らに対し原告当局を非難するビラを配布し、派遣遅延三箇月後に原告事務局の建物の奥の訓練所裏の宿泊棟三階のベットに寝転ろんでハンガーストライキをしたことは、聊か行過ぎの感を免かれないが、必ずしも理解し得ないものではなく、これを責める原告の態度は自己の不手際による責任に頬被りしてこれを他人(被告)に転稼するものというべきであり、以上の事情を斟酌すると、原告が被告に対し本件派遣契約を解除し嘱託(調整員)を解職する意思表示をしたことは、原告の責に帰すべき事由に基く債務不履行であるのみならず、権利濫用として許されないものであって、到底原告主張のような己むを得ざるものということはできない。
第四解約(解職)の意思表示と不当利得返還請求権
契約の一方の当事者は相手方の責に帰すべき事由に基づき契約解除となった場合でも、相手方の債務の履行を前提として相手方から給付を受けた実費弁償的な費用は、前提となる相手方の債務の履行がないのであるから不当利得としてこれを相手方に返還すべきを相当とする(かくすることが公平の理念にかなう)ところ、前記認定のとおり原告が既に被告を派遣することを前提として被告に給付した支度料金七万七〇〇〇円、移転料金五万三一〇〇円、着後手当金六万三〇〇〇円、日当宿泊料金六、三〇〇円、海外手当金一八万七〇四四円(以上合計金三八万六四四四円)は何れも実費弁償的な費用であるから、前記認定のとおり原告において本件派遣契約を解除し、被告が派遣されなくなった以上、被告は派遣されることを前提として原告から給付を受けた右実費弁償的な費用合計金三八万六四四四円を不当利得として原告に対し返還すべき義務を免かれないものといわねばならない。被告は民法第一三〇条により原告には不当利得返還請求権はないと主張するけれども、民法第一三〇条は本件事案には適用されないものと解するのが相当であるから、被告の右主張は理由がない。
第五被告の相殺の抗弁
前記認定のとおり、被告は、昭和四三年五月東京大学大学院博士課程の研究テーマである「開発途上国の開発に伴う教育計画の問題」の研究に資するため開発途上国の現地の実態を見聞する必要上隊員を志願し(その後原告の都合で調整員に変更した)、同年六月右大学院を休学し、従来勤務していた高校の非常勤講師及び家庭教師の職を捨て、妻子と別れて訓練所に合宿して約三箇月の派遣訓練を受けた後、同年九月九日原告と本件派遣契約を締結したが、原告の杜撰な計画のため相手国政府の免税特権の供与の承認が得られないとの理由で三箇月以上も派遣遅延となり、その間妻子と別れて訓練所裏の宿泊棟に起居し、生活費に窮し不安と焦燥に駆られながら派遣の日を待ち続けた後、同年一二月一七日付の相手国政府から免税特権の供与の承認の通知により、漸やく同年一二月二八日原告から昭和四四年一月派遣するにつき自宅待機を命ぜられかつ原告から派遣するについての誓約書を徴せられ、被告としてはやっと念願が実り派遣が実現するものと大いに期待して喜び、原告からの出発日の通知を心待ちしていた矢先、昭和四四年一月一〇日突如として原告から被告は調整員としては不適当であるとして派遣契約の解除及び嘱託(調整員)を解職する旨の意思表示が到達したものであり、≪証拠省略≫によると、被告としてはもしも契約どおり派遣されていたならば二か年間月額二〇〇ドルの海外手当及び月額金一万五〇〇〇円の国内積立金の支給を受けつつ調整員としての仕事をしながら二年後大学院へ戻った後の研究に資することができた予定が原告の突然の理由なき解約(解職)によって無残にも踏みにじられ、しかも被告はこのように所定の研究計画の日程が中途で挫折させられ、生計のためにアルバイトをしながら妻子を養いつつ大学院へ戻るまで五か月間も研究を放棄せざるを得なかったことは大学院博士課程の研究者たる被告にとって致命的な損害であったことが認められ、右の認定事実によると被告は前記原告の債務不履行によって多大の精神的苦痛を受けたことが推認される。右事実と本件全証拠によって認められる諸般の事情を斟酌すれば、被告が原告から受けるべき慰藉料の額は金四〇万円をもって相当と認める。ところで被告が昭和四九年一一月二一日の本件口頭弁論期日において右四〇万円(現実には金五〇万円であるから金四〇万円については当然である)の慰藉料による損害賠償債権をもって原告の金三八万六四四四円の本訴債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をしたことは当裁判所に顕著であるから、原告の本訴請求は理由がない。
第六結論
よって原告の本訴請求は、その余の判断をなすまでもなく、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松澤二郎)